火葬が一般化したのは戦後

現在では、火葬は衛生上の問題として推奨されています。
土葬は伝染病の危険も大きいからです。
その意味では、今の日本では火葬はほとんど肉体的な処理であるといえるでしょう。
しかし、わが国の習俗としては土葬が基本で、火葬が急速に普及し出したのは戦後です。
今でも火葬が100パーセントではありませんが、すでに全国的に普及したといっていいと思います。
仏教が伝わってくるまでは、土葬がすべてだったといえます。火葬は仏教とともに日本に入ってきたのですね。
遺体を火葬にすることを、
-荼毘に付す-
といいますが、これはインドの古いことばで火葬にすることを"ジャーピタ"といい、このことばを音写したものです。
インドでは古くから火葬が行われており、お釈迦さまも火葬でしたから、日本でも火葬は高貴な人の死の処理と受け取られ、一部の人に実施されたのでしょう。
インドはヒンドゥー教の国です。
ヒンドゥー教では輪廻転生を信じています。
つまり、人は生まれ変わるわけですからお墓はいりません。
ただし、荼毘に付して煙とともに天に昇った魂が輪廻するのですから、火葬は魂を天に送るという意味を持っており、インド人にとって火葬は大事な葬送儀礼になるのです。
それに対して、イスラム教徒は亡くなった人を火葬にしません。
火葬にすれば必ず地獄に堕ちると信じていますから、土葬です。
そして、イスラム教徒の場合はお墓を作ります。
記録によると、わが国で最初に荼毘に付されたのは法相宗の道昭で、その後持統天皇、文武天皇、元明天皇、聖武天皇などが火葬にされています。
やはり高僧や天皇など、高貴な人ばかりです。
火葬というと、
-お骨上げ-
を思い起こします。
焼き上がった骨を、二人が一組になって箸で拾い、骨壷におさめる習俗のことです。
子どものころ、なべ料理をやっていて、二人で肉なんかをいっしょに持つと、「こら、箸から箸に渡すのはお骨上げのやり方だ」などと言ってよく怒られたものです。
これは「箸渡し」ともいい、「橋渡し」につながるので、死者が三途の川を無事に渡れるように祈るところからきているなどと説明されますが、実際には無意味な迷信で、だれかがやり出したことを、そのとおりだなどと言って儀式化されてしまったのでしょう。
こんな風習は古い伝統ではないと思います。
ただ言えることは、日本人はなぜか骨にこだわる民族だということです。
お骨上げ自体もそうですし、最後にほとけさまが座って合掌している姿をしているなどといって、のどぼとけを故人ともっとも近い人が拾うなどという風習にも骨へのこだわりがあると思います。
地方によってはお骨をかじるなどというところもあるらしいですが、そのような遺体へのこだわりや処理方法は、各民族によって千差万別なのでしょう。
ヘロドトス(紀元前五世紀のギリシャの歴史家)の歴史書を見ると、あるインドの少数民族に、「おまえは親を火葬にしろ」と言ったところ、「火葬になんかできっこない。親には愛情があるんだから食べないといけない」と言ったと出ています。
子どもたちが人親の死体を食べることがいちばんの愛情の表現だというわけです。
それぞれの民族で風習があるということです。前に触れた、古代ローマの最後の息を吸い取るような行為もそのひとつの名残でしょうし、お骨をかじるというのもそういう意味でしょう。
ことに、骨にこだわる日本人は、火葬の時に温度を調節して骨を残すようにしたりします。
故伊丹十三監督の「お葬式」という映画がありました。その中に火葬場のシーンが出てくるのですが、小林薫扮する火葬場の係はいろいろな技術を持っていて、火加減を調節して焼き方を工夫していました。
たとえば幼児の場合、普通の火加減で焼いてしまうと幼いだけに骨ごとなくなってしまいます。
そこで、できるだけ温度を下げて骨が残るようにするとか、葬儀ビジネスのあれこれが紹介されていましたが、それなども別の面では、日本人の骨に対するこだわりを描いていたともいえるでしょう。
伊丹十三監督が「お葬式」という映画を撮ろうと思ったきっかけは、葬儀社の人が履いている靴にあったらしいです。
白と黒のツートンカラーの靴なのですが、参列者たちが履いている黒い靴の中で、葬儀社の人間は素早く自分の靴を見分けなければならない。
しょっちゅう家の中と外を行き来しますから、自分の靴をさっと見分けて機敏に行動しなければプロとして恥ずかしいというので、わざわざ特注で作っているのがツートンカラーの靴だというのです。
伊丹さんは、それを見て感心して「お葬式」という映画を作ったというのですが、白と黒のツートンカラーの靴を思いついた葬儀屋さんも、それに関心を持った伊丹さんも、プロとして実にいいこだわりを持つたからいい作品ができた例だと思います。
火葬にしたあと、東京都では遺骨を全部持って帰らせます。昔は遺骨をほんのちょっと拾い上げて骨壷に入れた程度でしたが、今は灰まで全部骨壷に入れて帰らせます。
それは、「うちのおじいちゃんは金歯をしていたのに、金がなくなっている。たぶん火葬場の人が金をくすねたんだろう」などと言われないようにするためだといわれています。
実際には、火葬場の人がそんなことをするはずがありません。
金は全部溶けてなくなってしまうのです。
しかし、火葬場の人はそんなことを言われるのは心外ですから、それなら全部持って帰れという意思表示で、身の潔白を証明しているということのようです。
そのため、骨壷が年々大きくなっています。
そしてお墓の問題にも関連するのですが、今度は割れない骨壷にしてほしいという要望が多いらしいのです。
骨壷を収納するお墓の下の穴の部分を「カロート」といいますが、カロートの中は冬温度が下がります。
すると、素焼きの骨壷などは水分を含んでいますから、それが凍ってピーンと割れます。
割れればお骨が骨壷からはみ出て自然に土に還るというのがあたりまえだったのですが、それでは困る、お骨はいつまでも残すべきだから割れない骨壷にしろという声が多いというのです。
それではお骨が自然に還れないわけですから、かえっておかしな風潮になっているなと感じざるをえません。
火葬の順番について言えば、お葬式・告別式があってそのあと火葬場に行く場合とか、逆に火葬してからお葬式・告別式を行う場合とか、地方によってさまざまです。
先日伺った伊那の地方では、人が亡くなるとまずお坊さんがすぐに枕経を読み、それから火葬場に行って荼毘に付し、そのあとお葬式を行うそうです。
だから、たとえば長男が東京で働いていて到着するのが遅くなるなどという時、帰ってくるまでお葬式は延ばせるわけです。
そういうところもありますし、先にお葬式をやってそれから焼き場に行くところもあるというように、いろいろです。
それは、火葬の歴史が浅いからいろいろなパターンができてしまったということでしょう。

新しい葬儀の形「家族葬」

東日本大震災を契機に新しい葬儀の形・・・家族葬に対するニーズが高まっています。
今までは葬儀というと形式的なセレモニーの趣向が強かったのですが、家族葬の場合、本当に必要だからやるというものになっています。
故人との最後の別れについて心の整理をつけて行う、という葬儀本来の意味で家族葬はぴったりです。
本当の意味での葬儀なら、心に残る家族葬【http://www.sougiya.biz/】が一番です。
直葬なら17万5千円、1日葬なら33万5千円とリーズナブルな料金も魅力です。

仏滅や友引は迷信

お骨上げなどもそうですが、習俗と化したお葬式にまつわる迷信というのは数え切れないほどあります。
お骨上げの詳細はこちら
たとえば、仏滅の日や友引の日はお葬式をしないなどというのもそうです。
あれは中国に「暦本」という暦に関する古書があり、その中に載っている「六輝」に由来します。
先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六つで六曜ともいい、要するに吉凶の占いをするものです。
その中の文字がたまたま「仏滅」や「友引」と、仏が滅するという字だったり、友だちも死の世界に引き込むとも読める字だったりするために、この日はお葬式をしないほうがいいなどとこじつけられただけで、それらはみんな迷信です。
しかし、現在友引の日が火葬場の公休日になり、職員の方々が休んでいますから、そういう日を決めるのはいいことかもしれません。
通夜や告別式は土曜や日曜にやることが多いですから、火葬場の人たちが休めなくなってしまいます。
亡くなる人は多いので、日を決めないと結局交代制というようなことになり、休日出勤も多くなって生活が不規則になるだけですから、友引に便乗して公休日にするのはいいことでしょう。

このページの先頭へ

イメージ画像